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未知の輪郭

洞爺丸事故から70年、取材カメラマンが語る暗闇の海岸と156枚の記録

文=佐々木 玲

洞爺丸事故の現場で、報道カメラマンは何を見て、どう記録を残したのでしょうか。入口となるのは、事故から約30年後の1984年、保存されていた約2000枚のネガから156枚を選び、焼き付け、写真集へ編んだ経緯です。そこから、現場でシャッターを切った一人の元カメラマンの記憶へ分け入ります。

暴風で窓が割れた報道部

記憶は休日勤務だった事故当日の昼へさかのぼり、台風15号への警戒が報道部内に広がっていきます。やがて浜側の窓ガラスが割れ、原稿用紙が飛び、停電も発生しました。窓をふさいでも強風に吹き飛ばされ、室内で仕事を続けられないほどの非常事態は、海岸へ出る前から始まっていました。

砂と暗闇の中で切ったシャッター

記憶の中の海岸には多数の遺体が打ち上げられ、船から海へ飛び込んで岸へたどり着いた人もいれば、力尽きた人もいました。風が砂を巻き上げるため、カメラは胸元へ隠し、撮る瞬間だけ構えます。出したままにすれば、レンズにもシャッターにも砂が入り込むほどの暴風でした。夜は懐中電灯のわずかな光だけを頼りに、流木などに覆われた遺体を探し、距離を測ってピントを合わせました。

停電下で写真を送る

撮影を終えても取材は終わりません。現場と社を往復し、停電で写真を送れなくなると、重い電送機をNHKの非常電源がある場所まで運びました。その写真は自社の特ダネとなりましたが、証言の重心は競争よりも、目の前の出来事を外へ伝える作業に置かれています。

遺族の声と、残すという務め

並べられた遺体を遺族が一体ずつ確かめ、身元が分かると別の場所へ運ばれていくなか、泣き声が現場に響き続けました。「写真を記録として残し、人々へ伝える」――最後に置かれるのは、新聞社の務めをめぐるこの言葉です。156枚の写真は、事故の規模だけでなく、記録する側が暴風の一日をどう走り抜いたかも現在へ伝えています。

視聴者の反応

  • 写真撮っていたら怒られたとのことですが、その怒った方の気持ちも理解できますし、記録として残すことの重要性も理解できます。こういう大事件があったと、言い伝えで聴いても、イメージが人によって異なるでしょうし、やはり記録は必要かと。遺体の写真を加工されていますが、真実を伝えるためにも、敢えてそのまま公開するというのもありだと私は思います。

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  • 事故当日、函館桟橋で保管してあった乗船名簿をある新聞社(M新聞と言われている)が無断で持ち出して乗船客の把握に支障をきたしたという出来事があったそうです。

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  • 報道機関の乗船名簿持ち出しという事実も伝えないといかんのじゃないかな。

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  • 私の小学生の担任は「七重浜で遺体の収容作業をした」と話していました。

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  • 洞爺丸台風っていうと洞爺丸だけの事故だと思っちゃうけど、複数の連絡船とアメリカ軍のLST、巡視船、イタリア船が被害に遭った、函館港内大惨事だったんだよね。 中には乗組員全滅して状況が分からない船とかね。あと大火災も発生している。

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編集部から

ここに残るのは事故の解説だけではなく、記録を生み出した人の手触りです。156枚の写真を見るとき、砂からカメラを守り、停電下で電送機を運び、再び現場へ戻った取材者の一日も立ち上がってきます。

動画を見る

北海道新聞 どうしん動画ニュース

動画の見どころ

  1. 1984年、保存されていた約2000枚のネガから156枚を選び、洞爺丸事故の写真集を編んだ経緯が説明される。

  2. 事故当日の休日勤務から台風15号への警戒、報道部の窓ガラス破損と停電までを元カメラマンが振り返る。

  3. 海岸へ流れ着いた乗客を目の当たりにし、強風で舞う砂からカメラを守りながら撮影した状況を証言する。

  4. 暗闇と流木、砂の中を懐中電灯で進み、距離を決めてピントを合わせながら夜の海岸を記録したと語る。

  5. 現場と社を往復し、停電で写真を送れなくなると電送機をNHKの非常電源まで運んだ取材の一日を語る。

  6. 遺族による身元確認の記憶を振り返り、事故写真を残して人々へ伝えることは新聞社の務めだと結ぶ。

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