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未知の輪郭

秘密結社 / 未解決事件

JFK暗殺とフリーメイソン説 演説とディーリー・プラザを検証する。

文=林 遼

裁判に至らなかった容疑者

1963年11月22日、ダラスのパレード中にジョン・F・ケネディ大統領が銃撃され、同乗していたジョン・コナリー知事も負傷しました——語り手はまず、事件当日の経過からたどります。その日のうちにリー・ハーヴェイ・オズワルドが逮捕されましたが、2日後、ダラス警察署内でジャック・ルビーに射殺されました。容疑者が一度も裁判を受けないまま死亡したことが、「何かが隠されている」という疑念を長く残したと動画は見ます。

二つの公的調査が残したずれ

1964年のウォーレン委員会報告は、オズワルドの単独犯行であり、組織的な陰謀はなかったと結論づけました。ところが、一発の弾丸がケネディとコナリーの複数の傷を生んだとする説明には、弾道上の疑問が提起されてきたといいます。ザプルーダーの8ミリ映像で頭部が後方へ動くように見えることも、後方からの銃撃だけだったのかという問いにつながりました。さらに1979年の米下院特別委員会は、複数の銃声と組織的陰謀の可能性を排除できないという異なる結論を示した——二つの公的調査のずれが、事件を宙づりにしているという構図です。

演説と地名は証拠になるのか

そこから視線は、フリーメイソンやイルミナティがケネディを排除したという説へ移ります。根拠として引かれやすいのが、ケネディが1961年4月27日の演説で秘密の誓いや手続きに反対したとされる発言です。しかし動画は、前後の文脈では冷戦下のソ連側の秘密主義を批判しており、フリーメイソンへの宣戦布告とは読みづらいという見方を支持します。暗殺現場ディーリー・プラザの名称がフリーメイソン関係者に由来することも認めつつ、それだけでは暗殺計画との直接的なつながりにならないと整理しました。

公開文書が示したもの

1992年のJFK暗殺記録収集法に基づき、2017年から2023年にかけて機密文書が順次公開されたと語られます。そこからCIAやFBIがオズワルドのソ連・キューバとの接触を事前に把握しながら、十分に共有しなかった可能性が見えてきたというのが動画の読みです。一方で、組織的陰謀や真犯人を特定する決定的証拠は見つかっていないとも明言します。主要人物の死亡、証拠の紛失や処理上の問題、機関同士の連携不足でも謎は深まりうるため、フリーメイソン犯行説を裏づける具体的証拠はないという地点で、証拠と解釈を分けるよう読者へ問いかけています。

この説をたどる

一発の弾丸、8ミリ映像、二つの公的調査。そこへ秘密主義を批判した演説とディーリー・プラザの由来が重なり、フリーメイソン説の輪郭が立ち上がります。しかし公開文書までたどっても、見えてくるのは情報機関の把握と共有不足の可能性で、暗殺を命じた主体ではありません。動画は、残された空白が特定の物語を証明するわけではないという地点に、静かに視線を戻します。

動画を見る

第3の目

動画の見どころ

  1. 1963年11月22日のダラスでケネディ大統領が銃撃され、逮捕されたオズワルドも2日後に警察署内で射殺された経過をたどる。

  2. ウォーレン委員会の単独犯結論に対し、一発の弾丸とザプルーダー映像、1979年の米下院調査が残した疑問が示される。

  3. マフィア、CIAや軍産複合体、ソ連・キューバ、ジョンソン副大統領という関与説を挙げ、いずれも決定的証拠はないと整理する。

  4. 1961年4月27日の秘密主義批判演説は、フリーメイソンへの宣戦布告ではなく冷戦下の文脈で読むべきだという反証を示す。

  5. ディーリー・プラザの名称がフリーメイソン関係者に由来しても、それだけでは暗殺計画との直接的な結びつきにならないと検討する。

  6. 2017年から2023年の公開文書はCIAやFBIの事前把握と共有不足をうかがわせる一方、組織的陰謀の決定打はなかったとする。

  7. 証人の死亡、証拠処理、機関間の連携不足を見たうえで、フリーメイソン犯行説を裏づける具体的証拠はないと結論づける。

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