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104人が犠牲になった飛騨川バス転落事故 「事前通行止め」という発想はまだ無かった

「日本史上最悪のバス事故という動画を見たが、調べても断片的な情報ばかりで背景が分からない」。視聴者から届いたその質問に答える形で、この回は組み立てられている。来年から子どもがバス通学になるので心配だ、という相談でもあった。バスは身近な乗り物で、自分が事故に巻き込まれる姿は想像しにくい。調べていくうちに、それが誰にでも起こり得ることだと思い知らされた——語り手はそう前置きして、最近の事例から順に見ていく。
起きたばかりの事故から始める
2025年7月、鹿児島ユナイテッドFCのU-15の選手を乗せたマイクロバスが対向車線にはみ出し、歩道の電柱に衝突した。選手3名が骨折し、11人全員が搬送された。クラブが発表した原因は60代の運転手の居眠りで、飲酒や薬、過労の影響はないとみられている。翌2026年5月には福島県郡山市の磐越自動車道で、遠征に向かう高校のソフトテニス部員を乗せたマイクロバスがガードレールなどに衝突し、3年生の男子生徒1人が死亡、20人が重軽傷を負った。
後者では、学校側は事故車を手配していないとし、バス会社は学校から頼まれたとして主張が食い違っている。理由は法にある。バス会社がレンタカーと運転手をセットで手配していれば無許可の旅客運送、いわゆる白バス行為にあたり、会社も学校も厳しく処罰されるからだ。
104人が亡くなり、道路行政が変わった
国内最大の死者を出したバス事故は、1968年夏に岐阜県で起きた飛騨川バス転落事故である。観光バス2台が土石流に飲み込まれて増水した川へ転落し、乗員乗客107名のうち生き残ったのは3名、死者・行方不明者は104名にのぼった。
ツアーを企画したのは名古屋市で主婦向けの無料新聞を出していた会社で、読者サービスとして組まれた山岳ツアーだった。高度経済成長期で登山が人気を集めており、広告は2回だけだったのに申し込みが予想を大きく上回り、参加者は750名以上、バスは15台になった。集合前の予報は晴れる見込みだったが、当日は岐阜地方気象台が観測を始めて以来の集中豪雨が記録される。15台は深夜に協議して登山を断念したものの、先頭の6台は走行できなくなって停車していた。約1時間半後の午前2時11分、真上の斜面で岩盤が崩落する。10トンダンプ500〜1000台分の土砂が時速36キロで滑り落ち、2台がガードレールを突き破って15メートル下の濁流へ消えた。
第一報が届いたのは3時間半後だった。電話線は断たれ、携帯もない。転落を免れた後続の運転手4人が土砂を越えて対岸まで渡り、助けを呼んでいる。
なぜ通行止めにならなかったのか。当時は「危なそうだから事前に止める」という発想そのものが無く、まだ崩れていない場所の危険を予測して止めることはしていなかった。判断は走るドライバーに委ねられていた。この事故を受けて道路行政は方針を変え、雨量が一定ラインを超えればどこも崩れていなくても強制的に止める「事前通行規制」が導入される。
原因は毎回ちがう
以降の重大事故は、それぞれ別の理由で起きている。2016年の軽井沢では、制限速度50キロのカーブへ時速96キロで進入した大型バスが転落し、運転手2人を含む15名が死亡した。亡くなった乗客は全員が大学生で、アルバイト代で行ける格安ツアーだったからだという。認定された直接の原因は運転手の技量不足で、入社前の5年間は大型バスを運転しておらず、義務づけられた事前の実技試験も行わないまま夜間のルートに出ていた。会社の社長と運行管理者は業務上過失致死傷に問われ、2026年5月に高裁が控訴を退けて実刑が維持されている。犠牲になった大学生の母親の手記が支援団体から公開されており、事故当日の朝から遺体と対面するまでが綴られている。
2025年に三重県で起きた事故は様相が違う。ブレーキ痕は無く、直前の防犯カメラには普通に走る映像が残っていた。司法解剖の結果、運転手は運転中に心臓の病気を発症した可能性があるとされる。勤続18年のベテランで事故歴も無く、点呼でも異常は無かった。県警が調べても会社側に違反は見つかっていない。
2012年の関越道では、防音壁に時速90〜100キロで突っ込んで7名が亡くなった。運転手は居眠りを認め、無許可営業も発覚し、会社の特別監査では28項目の法令違反が出た。この事故をきっかけにツアーバスの仕組みは廃止され、夜間の長距離運行で交代要員を乗せることが義務化されている。2012年まで、長距離バスの運転手は1人でよかった。
視聴者の反応
「路線バス運転手です。 何故こんなに厳しい研修や制度が出来たのかと調べたつもりでしたが、知らない事故もあったので勉強になりました」
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「バス営業の会社に勤めています。他人事ではないです。この動画を胸に刻み事故の無いように営業していきます!」
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「バスとか電車の運転手さんて一日に何人もの命を預かるすごい仕事だよな〜といつも思う」
高評価 242
「生き残った3人、運がいいんだろうけど周りが104人亡くなっているのを見かけるとかトラウマになるだろうな、、、」
高評価 213
「長距離ドライバーです 僕達の乗っているトラックには速度抑制装置がついていて時速88キロまでしか出ないのになぜバスには同じ物がついてないのが不思議でなりません 僕達は物を運んでいます バスは人を運んでます 国は安全対策とか言ってますが不十分過ぎて呆れます」
高評価 166
背景
飛騨川の事故が制度を変えた点は、いまの道路の走り方に直結している。1968年当時、通行止めは「崩れてから止める」ものだった。まだ崩れていない斜面の危険を見積もって先に閉じるという考え方は無く、走るかどうかは運転者の判断に任されていた。事故のあとに導入された事前通行規制は、雨量が基準を超えた時点で、実際に何も起きていなくても道を閉じる仕組みである。大雨のたびに高速道路や山間の国道が通行止めになるのは、この転換の結果にあたる。
2012年の関越道の事故も同じ形をとっている。それまで長距離の夜行バスは運転手1人での運行が認められていた。事故後、ツアーバスという枠組みそのものが廃止され、交代要員を乗せることが義務づけられた。
本編で並ぶ原因は集中豪雨、速度超過、居眠り、そして運転手の突然の発症と、どれも重ならない。乗客の側から見れば、いずれも乗る前に見分けられるものではない。動画が最後に置くのも、乗る側にできるのはシートベルトくらいだ、という一言である。
動画を見る
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動画の見どころ
郡山の事故では、学校側は事故車を手配していないとし、バス会社は学校から頼まれたと主張が食い違う。セットで手配していれば無許可の旅客運送にあたり双方が処罰されるためだと説明される
国内最大の死者を出したバス事故は1968年夏の飛騨川バス転落事故。観光バス2台が土石流に飲まれて増水した川へ転落し、乗員乗客107名のうち生存は3名、死者・行方不明は104名にのぼった
広告は2回だけだったのに申し込みが予想を上回り、参加者は750名以上、バスは15台に膨らんだ。集合前の予報は晴れる見込みだったが、当日は気象台が観測を始めて以来の集中豪雨が記録された
午前2時11分、停車地点の真上で岩盤が崩落。10トンダンプ500〜1000台分の土砂が時速36キロで滑り落ち、2台がガードレールを突き破って15メートル下の濁流へ転落した
第一報が届いたのは発生から約3時間半後。電話線が断たれ携帯も無い時代で、転落を免れた後続の運転手4人が積もった土砂を越え、対岸まで渡って助けを呼んだ
1968年当時は「崩れる前に止める」という発想が無く、判断は走るドライバー任せだった。この事故を受けて、雨量が基準を超えれば強制的に閉じる事前通行規制が導入される
軽井沢の事故で認定された直接の原因は運転手の技量不足。入社前の5年間は大型バスを運転しておらず、義務づけられた事前の実技試験も行わないまま夜間のスキーツアーに出ていた
三重県の事故ではブレーキ痕が無く、直前の防犯カメラには普通に走る映像が残っていた。運転中の発症の可能性が指摘され、会社側に違反は見つかっていない。制度では防げない類型として置かれる
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