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未知の輪郭

災害・事故

八甲田雪中行軍、田代まで1.5キロで道を失った210人の五日間

文=林 遼

1902年1月、青森歩兵第5連隊は八甲田山で雪中行軍演習へ向かいます。

田代温泉まで片道20キロ映像が示す訓練の目的は、対ロシア戦を見据え、沿岸の鉄道が使えない場合に人力で物資を運べるか確かめることでした。青森から田代温泉まで片道約20キロを1泊2日で往復する計画には、210名が参加しました。

直前の予行演習が晴天に恵まれ、出発前夜まで送行会が続いたことで、厳冬の山へ入る緊張感は薄れていたとされます。休息の計画も凍傷への知識も十分ではなく、短い行程への油断が少しずつ輪郭を持ちはじめます。

引き返せなかった分岐点

出発時の気温は約マイナス16度で、隊は重いそりを引いて山の入口へ進みます。そこで地元の村人が中止を勧め、案内役も申し出ますが、隊は断り、地図と方位磁針だけを頼りに入山します。

やがて雪は深くなり、天候も急変しました。撤退案が出たものの進行を続けた判断が、大規模遭難への分岐点となります。そり隊は本隊から2時間以上遅れ、田代への道を探った先遣隊も進路を失いました。

田代まで1.5キロの雪中露営

午後8時15分、隊は田代まで約1.5キロの地点で進行を断念し、雪を掘って最初の露営に入ります。火はなかなかつかず、雪を溶かす炊事も難航し、午前1時ごろ、ようやく生煮えの飯が配られました。マイナス20度以下で眠れば凍傷になるとして、軍歌と足踏みで耐え、睡眠は長くても約1時間半でした。

午前2時半に引き返した一行は、駒込川の峡谷へ迷い込みます。2日目は風速約29メートル、気温マイナス20度以下の中を14時間半さまよいながら、直線では約700メートルしか進めませんでした。食料も凍り、吹きさらしの露営地では死者・行方不明者が70名を超えます。

11名の生還と残された教訓

3日目には隊が解散状態となり、4日目午前1時ごろには約30名まで減り、5日目に二手へ分かれます。救助隊は倒れていた指揮官を見つけたものの蘇生できず、救助に入った側にも凍傷者が続きました。

最終的な生存者は11名、死亡者は199名で、生存者のうち8名が凍傷で手足の切断を余儀なくされたという結末です。現在の陸上自衛隊第5普通科連隊にも番号と教訓が受け継がれ、冬季演習と慰霊が続くなか、遭難は土地に残る記憶として結ばれます。

視聴者の反応

  • 民衆からも滅茶苦茶批判されたそうだね。「戦場で死ぬなら分かるが、ただの訓練でなぜ息子が死ななければならないのか」っていう遺族の言葉が物語ってる

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  • 弘前31連隊の実態や案内人の被害、生存者のその後までまとめている動画はこれまで見た事が無かったので、詳しくまとめられていて良かったです。

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  • 後藤信一さんは2023年5月に109歳の天寿を全うしました。 亡くなった時、宮城県内の男性最高齢でした。

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  • 八甲田からも、インパールからも生還した一族とか強すぎる。。

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  • 「天は我々を見放した」では無く"人災" です。他のサイトや書籍にもありますが専門家や現地の人たちの意見を取り入れず、物資や装備の不備による悲惨な事件。当時の日本に特有の精神第一主義の犠牲だと思う。

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背景

片道約20キロ、1泊2日の計画は、田代まで残り約1.5キロの地点で止まりました。中心にあるのは、そこから露営、帰還判断、峡谷への迷入、隊の分裂へと進む時間の積み重ねです。再現部分を含む解説であり、数値や弘前隊をめぐる主張は元資料との照合を前提にしつつ、八甲田に残る遭難の記憶をたどる入口になります。

動画を見る

動画の見どころ

  1. 1902年、対ロシア戦を想定し、青森歩兵第5連隊210名が田代温泉まで片道約20キロの雪中行軍へ出発する。

  2. 直前の晴天や送行会で警戒が薄いまま、約マイナス16度の山で地元村民の中止勧告と案内の申し出を断る。

  3. 天候急変後も進行を続け、そり隊は2時間以上遅れ、先遣隊も田代への進路を見失って本隊へ戻る。

  4. 田代まで残り約1.5キロで露営し、炊事に午前1時までかかり、マイナス20度以下で睡眠も約1時間半に限られたとする。

  5. 帰還途中で駒込川の峡谷へ迷い、2日目に14時間半かけて約700メートルしか進めず、死者・行方不明者が70名を超える。

  6. 3日目の混乱と解散状態を経て、4日目には約30名となり、5日目に生存者が二手へ分かれるまでを描く。

  7. 弘前第31連隊が案内人を人質にして酷使し、遭難者を救助せず、事実が隠された可能性があると動画は主張する。

  8. 210名中11名が生存し199名が死亡したという結末から、記念像と陸上自衛隊による慰霊・冬季演習までを紹介する。

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