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未知の輪郭

英語 / アメリカ

切られていた電話線と、溝に落ちていたはしご 5人が消えたクリスマスイブの火事。

文=久世 理央

ウェストバージニアの道路脇に、笑っていない5人の子供の写真を掲げた看板が立っていた。「彼らの運命は何だったのか。誘拐か、殺害か、それともまだ生きているのか」。語り手はその文言から話を始める。

1945年12月24日の夜、フェイエットビルのソダー家には両親と、10人の子供のうち9人がいた。午前0時30分に電話が鳴る。受話器の向こうから聞こえたのは嘲るような笑い声で、相手はそこに住んでいない名前を尋ねて切れた。電話を切ったジェニーが見回すと、家中の明かりが点いたままで、カーテンは開き、玄関の鍵も掛かっていない。彼女が戸締まりをして寝直したあと、屋根に何かが落ちて転がる音がした。そして、煙の匂い。

骨のひとかけらも出てこなかった

階段は熱と煙で通れず、2階から降りてきたのは髪を焦がしたジョンとジョージ・ジュニアの2人だけだった。ジョージは家の側面に立てかけてあったはしごを取りに走るが、はしごは無い。2台のトラックはどちらもエンジンがかからず、雨水の樽は凍りついていた。消防署までは2.5マイル。志願制の消防団は電話を掛け合って招集する仕組みで、消防士が現場に着いたのは7時間後、そのとき家はもう無かった。

焼け跡から遺体は出てこなかった。骨のひとかけらもだ。消防署長は火が焼き尽くしたに違いないとしてその場で5人の死亡を宣告し、翌26日には検死陪審が事故と判断、30日には死亡証明書が発行された。州警察の捜査官は、家が完全に燃えたため原因の特定は容易ではないとしながら、配線の不良を火元とした。

近隣の別の火事では7人が亡くなり、7体分の骨が回収されたという。ジェニーは料理で出た鶏や豚の骨をオーブンに入れ、できるだけ高温にして焼いてみた。どれだけ熱しても骨は灰にならない。オーブンは家一軒の火事ほど高温ではなく科学的な実験とは言えない、と語り手も断りを入れるが、地元の火葬場の従業員も、家屋火災と同程度の温度なら人骨は残ると彼女に伝えている。

切られた電話線と、溝に落ちていたはしご

春、新居の建設現場でジョージに声を掛けたのは電話の修理工だった。電柱に登った彼は、焼け残った電話線が垂れ下がっていないことに気づく。線はきれいに、意図的に切断されていた。焼けたのではなく切られたのなら、切るためにはしごが要る。ジョージが敷地の裏の溝を捜すと、火事の夜に見つからなかったはしごが落ちていた。

深夜の間違い電話、屋根の音、動かなかった2台のトラック。加えて、寝室を出たとき家の明かりは点いていた。電気系統のショートが火元なら停電していたはずだ、と夫妻は考える。ジェニーは娘のために明かりを消さずに寝室へ戻っていた。二人の口から出た言葉は放火だった。

焼夷手榴弾と、生きた子供を見たという証言

1946年、バスの運転手が名乗り出る。火事の夜にソダー家の前を通ったとき、何者かが家に向かって「火の玉」を投げているのを見た、というのだ。家族が焼け跡へ戻ると、幼いシルビアが庭でボール状の物体を拾った。片端に妙なキャップが付いている。陸軍から休暇で戻っていた長男ジョンは、それを一目で焼夷手榴弾——火を起こすために作られた武器だと言い当てた。それなら屋根の音の説明がつき、火元は1階のヒューズボックスではなく2階だったことにもなる。それでも警察は、放火事件としての捜査を始めなかった。

同じ年、2人の女性が子供たちを見たと警察に連絡してきた。1人は街道沿いのレストランの従業員で、火事の翌朝に子供たちへ朝食を出し、外にフロリダのナンバープレートの車が停まっていたという。もう1人はチャールストンのホテルの従業員で、火事の1週間ほど後の深夜、5人のうち4人がイタリア語を話す不愛想な大人たちとチェックインしたと述べた。イタリア移民のジョージはムッソリーニを公然と批判しており、それが地元のイタリア系コミュニティの反感を買っていた。連れ去られたのなら子供たちはイタリアにいるのではないか——一家はそこまで考える。1947年にFBIへ書いた手紙には、長官J・エドガー・フーバー本人から、これは地元の管轄でありFBIに権限は無いという返事が来た。

牛のレバーと、看板の前で途切れた道

一家が雇った私立探偵は、消防署長モリスが灰の中から人間の臓器を見つけて隠したという噂を町で繰り返し耳にする。ダイナマイトの木箱に入れて敷地に埋めた、とも。掘ってみると木箱は本当に出てきた。中身は乾いて縮んだ肉の塊で、鑑定すると牛のレバーだった。しかも焼けてすらいない。問い詰められたモリスは、子供たちは火事で亡くなったと確信しているが、家族が反証を探して自らを痛めつけ続けるのを見ていられなかったと述べた。自分でレバーを埋め、自分で噂を流したのだという。

探偵が最後に調べたのは、政治をめぐって決裂した仕事仲間——動画が仮に「ニック」と呼ぶ人物だった。彼はジョージの住宅保険の連帯署名人で、火事の直前に、本人へ知らせないまま保険金額を250ドル引き上げていた。そして、火災を事故と判断した検死陪審の一員でもあった。 一家がこの資料を持って地元の検察官に捜査を求めると、返ってきたのは「自分が一緒に暮らし、食事をしている人たちを訴えたくはない」という言葉だったとされる。

1953年、手立てを失った一家は道路脇に看板を立て、5000ドルの報奨金を掲げた。1967年には差出人の無い封筒が届く。中の写真に写る若い男は一家の面差しによく似ていて、裏には「ルイス・ソダー」と書かれていた。消印はケンタッキー。一家がそこへ送った私立探偵は、それきり連絡を絶った。

視聴者の反応

  • 7 hours for the firemen to arrive is INSANE

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  • The police rushing to declare it an accident and stubbornly refusing to investigate even with mounting evidence pretty much confirms the involvement of organized crime.

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  • The fact this took place on Christmas eve, to me proves it was an act of malice. Someone wanted to deliberately hurt this family and doing this on Christmas was part of it.

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  • running barefoot for miles to the nearest neighbor's house. I struggle to imagine how awful that must have been, in the cold, upon icy ground...

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  • this case has always stood out to me. i did a report on it in middle school. i don’t think ill ever forget the tragedy.

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この説をたどる

火事で亡くなったのだとすれば、話はそこで終わる。5人とも焼き尽くされたのかもしれないし、消防が残ったものを見つけられるほど丁寧に捜さなかっただけかもしれない——その可能性は語り手自身も残している。だが電話線は切られ、はしごは動かされ、庭からは焼夷手榴弾が出てきた。一晩燃え続けた失火では、その一つひとつが宙に浮く。もし一本の線でつながっているなら、あの夜の火は目くらましで、本当に起きたのは連れ去りだったことになる。そしてこの説を選んだ瞬間、一家は「どこかで生きている」という希望と、20年以上にわたる空振りの手紙を同時に引き受けることになった。人生を壊したのは火事でも喪失でもなく、分からないということそのものだった、と語り手は締めくくる。子供たちを見たと言う人は現れても、それを確かめる方法はいまも無い。

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動画の見どころ

  1. 午前0時30分の電話で母が起こされる。相手は名乗らず嘲るような笑い声を上げ、そこに住んでいない人物の名前を尋ねて切れる。電話のあと、家中の明かりが点き、カーテンは開き、玄関の鍵も掛かっていなかったことに気づく。

  2. 父が2階へ届くはしごを取りに走ると、家の側面にあったはずのはしごが消えている。2台のトラックはどちらもエンジンがかからず、雨水の樽の水は凍りついていて、子供たちへ手が届かないまま家は燃え続ける。

  3. 消防署から2.5マイルの現場に消防士が着いたのは7時間後。焼け跡から骨のひとかけらも見つからないまま、その場で5人の死亡が宣告され、翌26日に検死陪審が事故と判断、30日には死亡証明書が発行される。

  4. 母が料理で出た鶏や豚の骨をオーブンで焼き、どれだけ高温にしても灰にならないことを確かめる。科学的な実験とは言えないと語り手が断る一方、火葬場の従業員も家屋火災と同程度の温度なら人骨は残ると伝える。

  5. 電話の修理工が電柱に焼け残った線が無く、きれいに切断されていたと伝える。切るにははしごが要ると気づいた父が敷地の裏の溝を捜すと、火事の夜に見つからなかったはしごが落ちていた。

  6. バス運転手が火事の夜に「火の玉」を投げる人物を見たと証言し、庭で拾われた物体を長男が焼夷手榴弾だと言い当てる。屋根の音とも符合する物証だったが、警察は放火事件としての捜査を始めなかった。

  7. 街道沿いのレストランの従業員が火事の翌朝に子供たちへ朝食を出したと述べ、別のホテルの従業員は1週間ほど後の深夜、5人のうち4人がイタリア語を話す大人たちとチェックインしたと証言する。

  8. 噂どおり掘り出されたダイナマイトの木箱には乾いた肉塊が入っていたが、鑑定の結果は焼けてすらいない牛のレバー。消防署長は自分で埋めて自分で噂を流したと認め、家族に死を受け入れさせるためだったと説明する。

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