地球外生命・宇宙人 / UFO・UAP
金星の夜側が光る「アッシェン・ライト」 住民の野火説から400年、いまだ写真は1枚も無い。

1806年の春、2人のドイツの天文学者が別々に金星を覗いていて、妙なものに気付いた。太陽と反対を向いた半球が、宇宙の暗さときれいに溶け合わない。灰赤色とも灰色ともつかない、かすかな光だ。
これが「アッシェン・ライト」だ。地球が反射した光で月の夜側がぼんやり照らされる地球照によく似ていたから、金星の衛星が反射した太陽光が夜面を照らしている、と考えるのが自然に思えた。ただし金星に衛星は無い。ウィリアム・ハーシェルの言葉を借りれば、「太陽に背を向けた領域が、借りた光で輝くことはありえない」。
金星人の野火から、火星の運河へ
数十年後、フランツ・フォン・グルイトホイゼンが1836年に出した答えがふるっている。あの光は金星の住民が意図的に放った大規模な野火だ、というんだ。目的は土地の開墾か、宗教行事の記念か、新しい金星皇帝の戴冠の祝賀。面白いのは、当時それがそこまで突飛でもなかったこと。金星は地球と大きさが近く、厚い雲の下が砂漠なのか海なのか熱帯雨林なのか、天文学者もSF作家も好きに想像できたわけだ。
ホイヘンスやハーシェルといった巨人も、すべての惑星が生命に満ちていると思い描いていた。1916年には「天文学が現在信じる金星の状況」というキャプション付きで、ウィンザー・マッケイの想像図が米国の新聞に載っている。1967年に金星の雲へ突っ込んだソ連の探査機にいたっては、着水に備えて浮くよう設計されていたという。
視線を火星へ移すと、話はもっと大きくなる。パーシヴァル・ローウェルが本当に取り憑かれたのは火星の直線だった。あの運河は「知性の仕業」に違いない——3冊の長大な本に地図と図版を詰め込み、極の氷の融け水を赤道へ運ぶ巨大な灌漑網だと論じた。H・G・ウェルズが『宇宙戦争』を書いたのが1897年、その10年後には、ローウェルに触発された記事で実在する火星人の社会と姿まで描いている。1891年にはフランス科学アカデミーが、他の惑星と交信する手段を最初に見つけた者へ贈るという10万フランの遺贈を受けた——ただし火星は対象外。火星人との交信は易しすぎる、という含みだったという。
望遠鏡が良くなっても、運河はなかなか消えなかった
運河は知覚のぎりぎりにあり、望遠鏡では存在を証明も否定もできなかった。1965年にNASAの委託で作られた本ですら「運河の存在について一致した見解は無いが、大半の天文学者は火星に直線状の模様があることには同意するだろう」と書いていたし、同じ年に米軍が出した火星図には運河網が広がっていた。
決着はその夏についた。マリナー4号が火星表面の最初の接写を送ってきた。直線状の模様は一切写っていない。それでもNASAの科学者は「この写真からは運河の有無について何も結論できない」と踏みとどまろうとしたが、火星の運河はここで終わった。
では、あれは何だったのか。1903年の実験では、数メートル離れて図版を見た学生の集団が、存在しない細い直線を見分けられた。遠目には、非直線的な模様が直線に見える。ローウェルが金星に見た放射状の筋にはもっと生々しい説明が用意されていて、望遠鏡の絞りを極端に絞ったせいで、自分の眼球の中の血管の影が網膜へ落ちていたという。遠い世界の迷路模様の正体が、自分の目の内側だったわけだ。
月の裏側、フォボスの影、テスラの受信機
月も長く候補だった。ハーシェルは月面の無数の小さな円形地形を月人の町だと考え、グルイトホイゼンは星形の地形を「星々に捧げられた神殿の一種」と見た。極めつけが1835年の「グレート・ムーン・ホークス」で、コウモリ状の人型生物が月に住むと世界中の数千人が信じた。ジョン・ハーシェルの名で出た記事だったが、本人には心当たりが無く、アメリカの記者リチャード・ロックによる捏造だったという。
望遠鏡が良くなっても、裏側の住民は簡単には消えなかった。地球から見えない場所は、憶測にとってこれ以上ない土地だからだ。カール・セーガンでさえ「太陽系内に人工物、あるいは何らかの基地が維持されている可能性は排除できない」と書いている。1959年末、ルナ3号が裏側の画像を送ってきた。写っていたのは、月だった。
同じ形の話は現代にもある。1988年打ち上げのソ連の探査機フォボス2号は、1989年3月下旬に火星の衛星フォボスへ観測装置を置く準備に入ったところで通信が途絶えた。最後の画像に説明のつかない影が写っている、探査機を攻撃した異星の宇宙船だ——という噂が広がる。やがて生データが公開されると、未確認の機体は露出過多の伝送アーティファクトによく似ていて、楕円の影はフォボス自身のものだった。
賞金の話にも続きがある。1937年、あの10万フランに名乗りを上げたのがニコラ・テスラだ。1899年の無線実験で受け取った奇妙な信号を「数字の規則的な繰り返しで、その後の研究で火星から発せられたに違いないと確信した」と語っていた。賞は結局与えられず、1969年にアポロ11号の乗組員へ贈られている。
400年たっても、まだ写真が1枚も無い
さて、アッシェン・ライトの発見者とされてきたのはイタリアのジョヴァンニ・リッチョーリで、1643年初めに金星の円盤を包む色の帯を見た。ただ本人は、望遠鏡の中で光が屈折する色収差、つまり錯覚だと考えていた。ここで動画は、ドイツの司祭アタナシウス・キルヒャーが1660年に書き残した同じ現象の記録に目を向ける。日付は無いが場所はパレルモとあり、史料上のキルヒャーのパレルモ訪問は1638年春の一度きり。リッチョーリより5年早いから発見者はキルヒャーとすべきだ、というのが制作者自身の見立てだ。
20世紀半ばまでに目撃者は数百人になったが、実証的な証拠は無いままだった。雷はどうか。1975年、ベネラ9号が初めて金星の周回に成功し、影の側で下の雲からかすかな閃光を検出している。ただ、地球から見えるほどの光を生むには夜面で毎秒約1000回の落雷が要ると見積もられていて、地球の平均の20倍以上。ある論文は「雷はアッシェン・ライトの説明として受け入れられない」と切って捨てる。
オーロラも自明な解に見えるが、金星の磁場はほとんど無いに等しい。それでも近年、太陽嵐の進路に入った金星が光る様子が観測されている。この主題の決定版の本を書いたジョン・バレンタインは「データは決定的ではないが、この図には確かに何かが起きていることを示す兆しがある」とし、1950年代の目撃数の急増が過去250年で最も強い太陽極大の一つと重なることを挙げる。
とはいえ祝うには早い。多くの試みにもかかわらずアッシェン・ライトはいまだ一度もカメラに記録されていない。約400年前からの謎は、金星の大気に帰すべきか、それとも観測者の心に帰すべきか、宙に浮いたままだ。
隣人探しはまだ続いている。金星も火星も遠い過去には地球に似ていたと考える科学者は多く、エウロパやガニメデ、エンケラドゥス、タイタンが厚い氷の下に広大な海を持つという証拠も増えてきた。夜空のあらゆる点が別の生命を宿しうる——ジェイムズ・ウェッブ望遠鏡の名前を出して、動画はそう締める。
視聴者の反応
「Once every 6 months we come together to appreciate a masterpiece」
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「“If at first you don’t understand, it’s definitely aliens” is an amazing quote」
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「[Credits, References, and More] https://www.lemmi.no/p/bygone-visions-of-cosmic-neighbors」
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「I can imagine if William Herschel were to be alive today, his podcast would be wild」
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「“Bygone visions of life asunder, long since quelled by new-found wonder” What a lovely sentence.」
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この説をたどる
金星の夜側にともる淡い光から始まった線は、衛星を持たない惑星、住民の焚く野火、火星の運河、月の町、そして裏側の基地へと伸びていく。手がかりはいつも同じ形をしている——ぎりぎり見えるもの、届かない場所、まだ誰も写真を撮っていないもの。空白があるかぎり、そこには誰かが住んでいるという像が立ち上がるわけだ。運河も月の町もフォボスの宇宙船も、後から来た装置に一つずつ塗り替えられた。それでもアッシェン・ライトだけは400年たっても残っていて、太陽活動との弱い相関という、次の手がかりらしきものまで手にしている。もっとも、その数字や図の出所を動画がすべて明かすわけではない。決定的な一枚が撮られるまで、この光は金星の大気と観測者の目のあいだで揺れ続ける。
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LEMMiNO
動画の見どころ
1806年春、2人のドイツの天文学者が金星の夜側にかすかな灰色の光を見た。地球照に似ているが、反射源になる衛星が金星には無い——アッシェン・ライトの始まり。
1836年、グルイトホイゼンはあの光を金星の住民が焚く野火だと提案した。開墾か、宗教行事の記念か、新しい金星皇帝の戴冠の祝賀だろうと語られる。
ローウェルは火星の直線的な模様を「知性の仕業」に違いないと結論づけ、3冊の本で、極の氷の融け水を赤道へ運ぶ巨大な灌漑網だと論じた。
1965年夏、マリナー4号が送った火星の接写に直線状の模様は一切写らず、それでもNASAは「運河の有無は結論できない」としたが、火星の運河はここで終わったとされる。
1903年の実験では離れて見た図に存在しない直線が見え、ローウェルの金星の筋は、絞りすぎた望遠鏡で自分の眼内の血管の影が網膜へ落ちたものらしいと説明される。
ジョン・ハーシェルの名で月に「コウモリ人間」の群れを見たという記事が出て世界中の数千人が信じたが、本人に心当たりは無く、記者リチャード・ロックの捏造だったという。
1989年に通信が途絶えたフォボス2号の最後の画像は異星の宇宙船とその影だと語られたが、生データの公開後、露出過多の伝送アーティファクトとフォボス自身の影だと分かる。
アッシェン・ライトの発見者はリッチョーリではなく、1638年春のパレルモで同じ色の帯を見たアタナシウス・キルヒャーではないか——制作者自身が史料から立てた見立て。
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