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1993年、シベリアの山で6人が数分のうちに倒れた 生き延びたのは17歳の少女だけ。

1993年8月、シベリアの川をカヤックで下っていた人の目に、対岸で腕を振る少女が映った。止まってほしいと叫んでいる。遠目にも、上着が血で汚れているように見えた。助け上げられた少女は錯乱していて、自分は一人きりだと怯え、そしてこう告げた。ほかは全員死んだ、と。
高い道と、低い道
その1週間前、カザフスタンから来た2つのハイキング隊が南シベリアのハマル・ダバン山脈へ入っていた。学校が後援する遠征で、参加者の多くは10代から20代前半。一方をコンスタンチン・カザンツェフが、もう一方をこの山を歩いた経験のあるリュドミラ・コロヴィナが率いた。
リュドミラの隊は高所ルートを行き、40キロを歩いてタヴァトゥイ湖へ戻る計画だった。難易度はロシアの6段階で3、特別な装備は要らないが確かな足取りを求められる等級である。2隊は8月5日に湖で落ち合う約束だった。出発前、リュドミラは地元の気象観測所へ問い合わせている。最悪でも弱い風雨程度、という回答だった。ただし町を出るとき、地元の住民から奇妙な警告を受けていた。この一帯の野生動物が異様に攻撃的になっている、理由は誰にも説明できない、直前にはクマが列車の前へ身を投げるのが目撃された、と。
数分のうちに起きたこと
8月4日、樹木の無い高山帯で天候が崩れた。激しい雨と風、下がり続ける気温、悪い視界。夜までに稜線へ届かないと判断したリュドミラは、樹木限界の約2マイル上の開けた場所に野営を命じる。露出しすぎているのは承知のうえで、無理をしないほうが安全だという判断だった。午前4時、テントの支索が切れた。雪が入り込み、寝袋を濡らす。夜明けとともに一行は登頂を諦め、南へ下り始めた。
午前11時ごろ、23歳のサーシャが倒れた。リュドミラは残って介抱すると告げ、ほかの5人を先へ行かせる。やがて後方から助けを求める声が聞こえ、17歳のヴァレンティナが引き返すと、数時間前まで寒さを訴えていた青年はもう動かなかった。その直後、リュドミラも崩れ落ちた。。
ここから先の数分間は、生存者の説明でしか語られていない。学生たちは痛みに叫び、耳や目や鼻から血を流し、口から泡を吹いた。服を引き裂く者もいた。ヴァレンティナが立たせようとしたヴィクトリヤは彼女の手に噛みつき、振りほどいて倒れた。岩場ではタチアナが自分の頭を岩に打ちつけていた。最後に息があったのはデニスで、耳と口から血を流しながら「走れ」とだけ告げた。ヴァレンティナは樹木限界まで駆け下り、寝袋にもぐって意識を失う。翌朝、山は静かだった。
缶詰1つと、峰まで数百フィート
彼女は登り返して仲間の目を閉じ、テントで遺体を覆い、地図とコンパスと食料を集めた。それでも道は分からなかった。やがて樹冠の上を走る送電線を見つけ、電気があるなら人里があるはずだと考えて鉄塔から鉄塔へ4日歩く。8月9日、ウクライナから来た旅行者が川辺の彼女を見つけた。
遺体が見つかったのは8月24日。19日さらされた遺体の状態は悪かった。雪が解けた斜面で分かったのは、一行がティトラン峰まで数百フィートの地点で亡くなっていたことである。峰には地図どおり木造の塔があり、山腹の薄いテントよりはるかに風雨をしのげたはずだった。野営地に残っていた食料は缶詰のシチュー1缶だけで、菓子の包み紙すら無かった。解剖では、タンパク質の不足と栄養状態の悪さが指摘された。
捜索隊を率いたユーリ・ゴリウスにとって、これは謎ではなかった。以前からリュドミラが生徒を十分に食べさせず、天候に合った衣服も与えないまま限界まで追い込んでいたと考えており、生徒を鍛えるためにあえて悪い野営地を選ぶこともやりかねない、と述べたとされる。一方、ヴァレンティナは長い沈黙のあとリュドミラを擁護している。隊は行程を通じて十分に食事と世話を受けており、経験の差を踏まえて1日2400キロカロリーが計画されていた、というのが彼女の説明だ。
低体温症では説明のつかないもの
5人の学生の公式の死因は低体温症とされ、リュドミラについては、目の前でサーシャが死ぬのを見て心臓発作を起こしたと考えられている。低体温症なら説明できる症状もある。矛盾脱衣——血管の収縮が破綻して温かい血が末端へ戻り、凍死しつつあるのに暑く感じて服を脱ぎ捨ててしまう現象だ。だが自分の頭を岩に打ちつけることも、突然の出血も、低体温症の症状ではない。 あのように次々と広がるものでもない。
高山病による肺水腫を挙げる説、有毒植物や汚染された水を疑う説もある。さらに込み入った説として、嵐にまぎれて放たれた神経剤の実験に巻き込まれたのではないか、地球物理現象が発する超低周波音が内臓を振動させたのではないか、というものも紹介される。どの説も最後は同じところで止まる。なぜ7人のうち6人だけだったのか。そしてヴァレンティナはなぜ生き延びたのか。
記者に問われた彼女は、体調がとても良かったからだと答えた。生涯を農場で暮らし、高地と激しい運動に慣れていた、と。ただしその説明は、その場にいたどのハイカーにも当てはまりうる。15歳のティムールは野外に慣れた少年だったし、体力に不安があったのは16歳のヴィクトリヤだけだった。
視聴者の反応
「It is, in fact, early morning with Nexpo at the current moment」
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この説をたどる
山を降りるという判断そのものは、間違っていなかったように見える。露出した場所での野営も、地図が当てにならない以上は賭けを避けた結果だった。それでも一行は峰の塔まで数百フィートの地点で止まり、そこから先のわずか数分で6人が倒れた。もしすべてが一つの原因でつながっているなら、それは低体温症でも空腹でもなく、あの朝あの斜面にだけ現れた何かということになる。だが確かめる手立ては残っていない。あの数分間を見たのは1人だけで、その1人も、自分がなぜ生き延びたのかを説明できない。事件の細部はすべて、17歳だった彼女の記憶を通してしか届いていない——どの説を読むときも、そこだけは頭の隅に置いておきたい。
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動画の見どころ
気象観測所は最悪でも弱い風雨程度と答えていたが、町を出る一行は地元の住民から、この一帯の野生動物が異様に攻撃的になっている、直前にはクマが列車の前へ身を投げたと警告される。
夜までに稜線へ届かないと判断した隊長が、樹木限界の約2マイル上の開けた場所に野営を命じる。地図にある頂上の建物までの距離が分からず、賭けに出る価値はないと考えた結果だった。
下山中の午前11時ごろ、23歳の男性が倒れて動かなくなり、駆け戻った17歳の少女の目の前で、介抱していた隊長も崩れ落ちる。ここから数分間の出来事が始まる。
学生たちが痛みに叫び、耳や目や鼻から出血し、服を引き裂き、岩に自ら頭を打ちつける。最後に息のあった少年が「走れ」とだけ告げる——生存者の説明でのみ伝わる場面。
送電線を見つけた生存者が、電気があるなら人里があるはずだと考えて鉄塔から鉄塔へ4日間歩き、川沿いで1993年8月9日にウクライナからの旅行者に発見される。
遺体はティトラン峰まで数百フィートの地点で見つかる。峰には地図どおり木造の塔があり、野営地に残っていた食料は缶詰のシチュー1缶だけで、解剖ではタンパク質不足と栄養不良が指摘された。
捜索隊長は隊長の指導が原因だと断じ、生徒を鍛えるためにあえて悪い野営地を選ぶこともやりかねないと述べる。生存者は長い沈黙のあと、1日2400キロカロリーが計画されていたと反論する。
矛盾脱衣なら服を脱ぐ行動は説明できるが、自傷や突然の出血は低体温症の症状ではないとして、高山病・有毒植物・神経剤ノビチョク・超低周波音といった説が順に並べられる。
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